49歳、英語、やり直し

文法知識、語彙力強化を怠って適当にやり過ごしてきた英語との付き合い。今更感はありますが手持ちの本と無料の教材を使ってやり直す学習の記録。日本語のカタカナと英文の大文字羅列が苦手。

私の英語は散らがっている

私の英語は散らがっている。

基礎がないのだ。

基礎がないのに生活自体は何となくどうにかなっちゃうものだから、そのまま何となく過ごしてきたら取り返しがつかないほどに散らがった英語になった。積み上がらないのだ。基礎がないから砂の上に家を立てているのと同じ、やがて、崩れる。

普段の生活や旅行で困るという場面はあまりないけど、それはただ単に使っていないし会話すらしていないからということに尽きる。以前は仕事で毎日英語に触れる環境にいたこともあったけど、それはもう10年以上も昔の話。

仕事で毎日英語に触れる環境と言っても場所は香港、部署はセールス&マーケティング。営業系の仕事というのは、案外英語は適当なものだ。いや、より精度の高い英語を求められる会社や人ももちろんいらっしゃるとは思いますが、少なくとも私がいた環境というのは英語そのものの精密さというものはあまり求められなかった。日々のやり取り、日々の営業、社内やグループ会社へのレポートの提出、社内外のやりとりやミーティング、それらが英語でこなせればそれで良い。なぜなら営業は営業するのが仕事で、英語の正式書類を作成するのは、読み書きや書類作成を専門とする人々が担当するから。仕事というのは方向性がほぼ決まっているから営業職が仕事で使う英語というのは限られているし、仕事を何年も続けていれば仕事自体は何となくこなせるようになる。いつかは自分自身でも正しい英語を使えるようにならないと、と思いつつも、どうにかなってしまう日常に甘え、文法も語彙の強化も手を付けてこなかった。単語を覚えるのなんて大の苦手だ、単語帳なんて見たくもない。

そんな環境から離れてはや十数年。今では英語と接する機会がめっきり減った。もともと雀の涙ほどの知識でどうにか回していた自分の中の英語も、時の流れとともに見事に消えた。単語はほとんど忘れたし、たまに英語を口ずさんでみると頬の筋肉の硬さに驚く。滑らかという形容とは間逆な感じ、今の自分の口から発せられる英語はゴツゴツしている。2020年、十分すぎるほどにゆっくり過ごした。2021年も引き続き似たような生活がしばらく続くかもという状況の中、思うことあり、折角なので散らがりっぱなしの自分の英語を見つめてみようと思う。