最近では学習障害という呼び方もあるようだ。
私は現在のところ専門家による正式な診断を受けたわけではないので実際のところは不明。だから、ディスレクシアと診断され幼い頃からその症状と向き合っている方々に対して、結果とても失礼なことを書いてしまうのではと不安な思いもある。だけれども、「英単語を全く覚えられない」「参考書や説明書の細かな表記の矛盾などが気になり先に進めない」もしくは、英語で会話は出来るのに英文法や英語の構造は全く頭に入らない、というような事案に直面している人がいらっしゃたら、前に進む何かしらのヒントとなったらいいなと思い記事にしてみることにした。
英文に対するディスレクシアの傾向があるのかもしれない、そう認識したのは最近だ。何度目かの英語のやり直しと共に、この「49歳、英語、やり直し」ブログを始めようとしたその時、ほんの3週間前の出来事だ。
これまで「やり直し英語」に関する記事やおすすめ学習法などは数え切れないほど読んできた。だから大体のやり方というのは頭に入っていたのだけれど、性懲りもなく世の中の人々は英単語をどのように覚えているのだろうと気になり気楽な気持ちでネット巡りをしていたその時に出会ったのが過去の1つのページ。
水彩スケッチや海外ドラマがお好きだというnyororoさんによるまとめ記事。
togetter (2018年4月1日):英語の多読がたのしい→お絵かき英単語帳を作った→絵があると単語がわかる→自分は英文のディスレクシア(識字障害)気味かもしれない……と考えた話
ディスレクシア……識字障害っていうとトム・クルーズのあれか、失読症っていったかな。確かこの障害を持っている西洋の著名人は多かったよね、大変だわよね、きっと。そう言えばトム・クルーズが失読症だったと知った時「彼はどうやってあれだけのセリフを覚えたのかしら?やっぱりお風呂に浸かりながら聞いたりしているのかしらね?」なんて考えたよな、懐かしい……なんて呑気に読み始めました。
読み進めてゆくうちに、呟き主のnyororoさんが対面している英単語に驚く。恐竜系であったりミイラや中世の騎士関連の単語だったり。もちろん英語圏では子供が読むような本かもしれないけれど、それでもnyororoさんが覚えられないと仰っている単語は日本人なら普段、いやもしかしたら会話する上で一生出会わないかもしれないような単語類なので「いやいやいやいや、nyororoさんの英語レベル高すぎですからっ!!それに、絵もうますぎですからっ!」なんて思いながら、この時はまだまだ他人事。
nyororoさんの、とても読みやすい文章と躍動感のある絵に引き込まれ、どんどん読み進む。皆さんそれぞれ英単語を覚える工夫をしているんだな、凄いわぁ〜とあくまでも一読者。
と、そこで出会ったこの呟き。
ディスレクシアって思うとちょっと納得いくとこがチラホラある。
— nyororo (@nyororo) 2018年4月1日
あと、書体フォント変わると全然読めない。大文字だけの文だと2倍くらい時間かかる。文自体は読めるけど頭に入らない。理解に時間かかる
感じ。
昨夜思い立ったけど、早く気付きたかったよ!#単語ノート #英語
えっ??何?ちょっと待って、えっ?どういうこと?
普通の人は大文字だけの文字の並びを単語や文として捉えることが出来るってこと?
衝撃的な呟きだった。
まって、まって、ちょっとまって、まって、待ってよ!
そんな言葉しか頭に浮かばない。緊張しながら先を読み進む。
ついさっきまで他の誰かの体験記を読んでいたはずだったじゃない。
nyororoさんの呟きは続く。
nyororoさんのまとめを読み終えた後、 ディスレクシアについて少し調べてみた。ああ、何とっ!これまでバラバラに散らばっていた自分の中の不思議な事がすべて1つに繋がった、そんな気がした。
私は広東語が出来る
出来ると言っても生活するのに困らない程度の簡単な広東語、というレベルではない。
4声でなる普通語(日本で呼ぶ「中国語」)を操る日本の人は山のようにいるけれど、9声でなる広東語をビジネスレベルで操る日本の人は多くはない。広東語の習得に最良とされる中文大学や香港大学に通った経験もない。広東語の存在すら知らないまま香港に来て、3年目か、4年目の初めの頃には社内で同時通訳的な事ができた。5年目には自分で会社を興した。完全ではなかったけれど広東語に不自由することは殆どなくなっていた。英語は13歳でA, B, Cと習い始め、数十年経つのに一向に文の造りがわからないでいる。英語すら納得できるレベルにならないのに、どうして多くの日本人が苦手とする広東語が出来るようになったのだろう。その事がとても不思議でならなかった。結局、きっと語学にも相性というものがあるのだろうと、思うことにした。
私はカタカナの単語は認識に時間がかかる
カタカナが苦手だ。カタカナで書かれた1つ1つの文字はわかるけど、単語として理解するのに少し時間を要する。それは数秒、いや、もっと短いのかもしれない。時にはカタカナで書かれた箇所を指でなぞるようにして読んでいる自分がいるのに気づく。
カタカナ、特に拗音は読む時だけでなくカタカナで書くことも苦手で何度も書き直しが必要になることも多い。初めはカタカナでよくつかえるな、と感じるくらいだったけど10年ほど前くらいかな、カタカナ全体が苦手なんだと認識するようになった。
私は英文、大文字の羅列が苦手だ
先程リンクしたnyororoさんの呟きで気づいたこと。他の人は大文字の羅列を単語として、文として理解できているのかっ!という驚き。衝撃だった。私の場合は恐らく単語として認識していないのだと思う。文字の羅列だということはわかるし、ゆっくり眺めれば単語だというのも意識できるけど、何というのだろう、意識しなければ文字というよりも強いて例えるなら標識かな。道路標識に「止まれ」という赤い標識あるでしょう、そんな感じ。標識には「止まれ」と書かれているけれど書かれた「止まれ」を単語として読んではいなくて、デザインの一部でしょう。英文の大文字の羅列も例えるならそんな感じかな。だから英字新聞のヘッドラインとかテレビの速報のタイトルとか、大切な部分を大文字で羅列する意味が全くわからなかったけど、なるほど、普通の人はあれが文だとわかるのか、と納得。
トギャッターまとめのために ディスレクシアについてちょっと調べた。
— nyororo (@nyororo) 2018年4月1日
知能は普通。読み書きが苦手 うっかりミスがおおい。独創的・対人能力が高い。全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける人が多いようだ。
すべてが自分自身にあてはまるといわけではないけれど、多くの事が当てはまる。英単語をスラスラ覚えることは出来ないけれど、ストーリー仕立てにするとストーリー丸々全部が頭に入る。一言一句完全に頭に入るほど精度の高い脳ではないけれど、イメージがしやすくて空間の中で文が交わされるから覚えやすい。
広東語が出来ることが何故このディスレクシアの話と繋がるかというと、広東語を身につけてきたその方法。その方法そのものがたまたま自分自身の脳の作りに適していたのか!と、今では大いに納得できる。広東語はもともと口語で他の言語に比べ文法や語彙が確立されていないとされている。だから教材も少ないし気合を入れて理解するべき文法というものもあまりない。香港行きが決まって慌てて買った本を1冊持ってきた。千島先生の「広東語エクスプレス」(カセット別売り)当時日本で市販されていた唯一の広東語教材という位置づけの良本。購入時に「香港で話されている言葉ってこれですよね?」と店員さんに確認するくらい香港と広東語に疎かった。その「広東語エクスプレス」を聞いて話して、聞いて話して。薄い本だったけど短いストーリー仕立てになっていてシンプルな作りだった。それを1冊丸々覚えたと思う。苦痛ではなかった、全く。
今、思い返してみると自分の脳にたまたま合致していた方法で行えたことが良かったのだと思う。ピンインから入っていたら今でも広東語を話せていなかったかも。
自分は英文に対するディスレクシアかもしれない、そう認識した。
だから、今回、何度目かの英語やり直しをするに当たり、これまでと大きく方法を替え「耳を頼りに」「ストーリー仕立てや空間のあるトピックスを選んで」「とにかく声を出す」その辺りは特に意識して行ってゆきたいと思った。
そして今日改めて知ったことなのだけれど、LD(学習障害)にはタイピングが良いという意見も多くあるよう。なるほど、今回は学んだことを初めてブログに書くようにしたけど、これまでの学習方法と異なりだいぶ記憶に残りやすいという実感があったのは、気のせいではなかったのかも。
ディスレクシア関連の記事を読み他にも思い当たることや感じたこと、反対にこれは自分には当てはまらないなと感じたことなど色々あるのですが、とても書きれないので、また機会があれば少しづつお話したり、さらに気づいたことなどを書き足したりしていきたいと思います。
→(前にちょっと書いたけどわたしはディスレクシアっぽい処理をしているっぽい)
— nyororo (@nyororo) 2018年8月16日
(英語の文法が難しいって思っていたけど、)説明している日本語が無い方が理解できることがわかった。
これはちょっと目からウロコだった。 pic.twitter.com/DpaTdgHMLo
これもとても理解できる。今、参考書を使い始めたけれど、その中で書かれている日本語の文法用語や定義がわかりにくかったり、定義がブレたりしていたりすると、そこで脳がフリーズしてしまう、ということに度々直面して、ちょうど記事にしたいと思っていたところだった。こうした「自分が苦手としている部分、自分の脳がフリーズしやすい部分」というのを知って、その場面に直面したら少し気合を入れて取り掛かるという体制を心がけたら、少し乗り越えられるような気がしてきた。
もしかしたら自分は英文に対するディスレクシア(失読症)かもしれないと認識して、どんな気持ちだったか。
え、えっ?まって、まって、私っ??いや、トム・クルーズでしょ、私じゃないでしょ?まって、まって、ちょっと待って
という気持ちがあったのは本当だけど、不思議とショックとか絶望的な気持ちは全くなかった。それよりも、あれ、まてよ、そう考えると色々な事柄が線で繋がる、といったどちらかというと一種の安堵的な気持ちだったかな。でもそれは私が49歳になった今だからなんだよな、きっと。学生時代とか、40歳前とか、外資でバリバリ働いていた時だったら、もしかしたら絶望に打ちひしがれていたかもしれない。
今回、大きな気づきをするきっかけとなったnyororoさんの呟きには本当に本当に感謝いたします。ありがとうございました。
少しづつ、少しづつ。
自分に合った方法で、色々試しながら進めてゆこうと思います。